〜トーキング・コワーキングVOL.24〜

(Text & 写真:伊藤富雄)

※この記事は「カフーツ伊藤のコワーキングマガジンOnline」の2025年6月6日の記事を一部編集して転載しています。

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昨晩の「トーキング・コワーキングVOL.24」は、移働家である山﨑 謙 さんをゲストにお迎えして配信した。山﨑さん、ご参加いただきました皆さん、有難うございました。

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これまで「トーキング・コワーキング」は主にコワーキングの運営者の方をお招きしてお話を伺ってきたが、今回は趣向を変えて、コワーカーであり、かつ、コワーキングの運営にも携わる立場の人として山﨑さんに出演いただいた。

例によってYouTubeにアーカイブして一般公開しているので、見逃された方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ただし、今回は過去最長の2:09:49あるので、そのつもりでよろしくお願いします。

なお、冒頭でも言っているが、山﨑さんとはもう14年来の付き合いで、日頃はケンちゃんと呼んでるので、トークセッションでも「ケンちゃん」で通させていただいた。なので、この記事でも「ケンちゃん」で書いていく。

ケンちゃんのウェブサイトはこちら。

彼は日本のコワーキングの黎明期から14年にわたって付かず離れずの関係を維持して来ているので、その立ち位置から自ら体験してきてこと、考えたことのお話は非常に楽しく、かつ刺激的だった。

一部、昔話に浸って脱線気味なシーンもあるが(またか)、それはコワーキングの「コ」の字も知られていなかった頃から、ともにこの道を歩んできた者同士のあるある場面として、どうか御海容いただきたい。

ケンちゃんは自身を「移働家」と称している。これは「働く」と「動く」をかけた言葉で、移動しながら各地で仕事をする活動を表している。いわゆるリモートワーカーだが、一般のリモートワーカーとそのカツドウ内容がいささか異なる。

それは動画を見ていただくとよく判るのだが、時間のない方のために(2時間もあるので)以下にざっくりとなぞっていく。

なお、セッション中にケンちゃんが画面共有してくれたスライドはこれです。

・コワーキングとの出会い:神戸ITフェスティバルのある講演

ケンちゃんは現在47歳。就職氷河期世代であり、過去には様々な非正規雇用を転々としていた経験がある。家電量販店でのバイト、キャンペーンディレクターの派遣、携帯ショップの副店長、派遣会社の営業、スマートフォンのプレゼンテーションのトレーナーなどを経験していた。

特にスマホショップのトレーナーの仕事は、ショップスタッフにスマホの使い方や機能を教えるもので、全国各地を移動しながら行う仕事であった。←実はここにその後の彼がすでに顔を覗かせている。

そのケンちゃんがコワーキングという存在を初めて知ったのは、2011年4月15日に神戸の産業振興センタービルで開催された「神戸ITフェスティバル」だった。そこでプレゼンをしていたのが、何を隠そうぼくだった。

そのときのことを書いたブログがあった。文字が小さい。。。

神戸ITフェスティバルでコワーキングのことをお話ししました。はじめてこのサイトをご覧になる方へ。ぜひ、RSSリーダーにこの RSS フィードを登録ください。よろしくです! 昨日は、神cahootz.jp

ついでに、そのプレゼン資料もSlideShareに残っていた。タイトルは「コワーキング〜フリーでも独りじゃない。世界のフリーランサーが実践する新しい働き方」。

カフーツをオープンしたのがその前年の2010年の5月。1年近くコワーキングを運営してきて、一体コワーキング(Coworking)とはなにかを、懸命に話したのを覚えている。

ちなみにすでにこの時点で、コワーキングは「場所」ではなく「人」であると言ってるし、「コワーキングの5大価値」にも触れている(このときは「コワーキングの条件」と言っている)。

この話を聞いたケンちゃんは、間をおかずカフーツを訪ねて来てくれた。当初2時間ほどの予定だった訪問は、ついつい話が弾み、気がつけば4時間を過ぎていた。まあ、カフーツあるあるです。この訪問が、ケンちゃんとコワーキングの関わりの出発点となった。

・多様なコワーキングスペースの利用と「移働家」の歩み

カフーツ訪問後、ケンちゃんはぼくが主催していた「ネットマーケティング研究会(ネマ研)」に参加するようになる。このネマ研は、ぼくがカフーツを起ち上げるきっかけとなった勉強会で、もしこれをやっていなかったら、たぶん今ここにぼくはいない。

そのへんの経緯はここに書いている。

おめでとう!日本のコワーキング10周年!ありがとう!日本のコワーカーの皆さん!|カフーツ伊藤

コワーキングの面白さに気づいたケンちゃんは、他のコワーキングスペースを積極的に巡るようになる。神戸ITフェスティバルからわずか3ヶ月後の2011年7月には、大阪の「JUSO Coworking」や京都の「小脇」といった関西の最初期のコワーキングスペースを訪問した。

その後、勤めていたウェブマーケティング会社を辞めてフリーになったこともあり、ますますコワーキングに行く機会が増えた。名古屋の「MY CAFE」や金沢の「cafe? IKAWAGAWA DO」、奈良の「Cfe WAKAKUSA」、京都の「KRP町家スタジオ(現・町家学びテラス西陣)」など、立て続けにコワーキングを訪れている。

2012年にはますます活動範囲が広がり、東京のコワーキングスペースにも足を運んだ。東京初、日本で2番目の「PAX Coworking」、「下北沢オープンソースCafe」、渋谷の「Connecting The Dots」、高円寺の「こけむさズ」などなど、多くのスペースを訪れた。

当時はまだ関西からわざわざ東京のコワーキングを訪れる利用者は珍しかったので、「関西からの刺客」と呼ばれたりしたらしい。が、この頃既に、ケンちゃんの行動に「移働家」の片鱗が伺える。

当時の彼はパソコンも持たず、ペンとメモ帳だけでコワーキングに行き、本を読んだりしていた。確かうち(カフーツ)に来たときもそうだった。

このことは、必ずしもコワーキングがノートパソコンを持ち込んでヘッドフォンしてキーボードをパチパチ叩いて仕事をするだけの場所ではなく、本を読んだり、誰かと話し込んだり、居眠りしたりしても構わない自由な環境であることを示唆している。いつも言うけれど、コワーキングは単なる「作業場」ではない。

スマホのトレーナーとして全国を飛び回る仕事に就いてからも、彼は各地のコワーキングを積極的に利用した。そうして地域の運営者や利用者の話を聞き、それを各地でのプレゼン内容に活かしたりしていた。新しいアイデアを得られるだけでなく、地域ごとの情報や反応を知る上で役立ったと言う。

そうそう、コワーキングはコミュニケーションありき、だ。「私語厳禁」などというコワーキングはあり得ない。というか、その時点でそれはコワーキングではない。

・イベント企画・運営への展開とメディア露出

そうして各地のコワーキングを巡るうち、彼は自身でもコワーキング関連のイベントを企画・運営するようになる。そのきっかけの一つが「ジェリー(Jelly)」というイベント形式だ。

「ジェリー」は元々、2006年頃にニューヨークで始まったもので、特定の場所に縛られず、毎回場所を変えて集まり、それぞれ自分の仕事をしつつコミュニケーションを図るというカジュアルなワークスタイルのことだった。

日本では、この「ジェリー」が「コワーキング体験イベント」として、コワーキングスペースを広める有効な手段と活用され、多くのスペースで「〇〇ジェリー」と名付けて実施された。もちろん、うちもたくさんやったし、今でも「ブログジェリー」は断続的だが続けている。

このジェリーのコンセプトを聞いて、「あ、ライトにやっていいんだ」と感じたケンちゃんは、コワーキングで知り合った人々と共に自身でイベントを開始した。それが、西宮北口の市民交流センターにある茶室を利用した「お座敷ジェリー」だ。実はこれが、後々の「間借りコワーキング」の系譜につながってくる。

茶室には座布団やテーブルが備え付けられており、Wi-Fiだけ用意すれば皆で集まって仕事ができる環境だった。そこに彼の大学時代の友人、先輩、コワーキングで知り合った人々が集まった。

これは画期的な出来事だった。ぼくの知る限り、コワーキングする「場所」はどこでもいい、ということを、コワーカー自身が体現した、最初のケースではないかと思う。

「お座敷ジェリー」から派生したのが「出張浮草」だ。茶室での開催に飽き、場所を変えてみたいという思いから、神戸西区の会議室や当時運営されていた新大阪のコワーキングなど、別の場所でも開催するようになった。まさに間借り。

場所が変わると参加者も変わり、新たなつながりが生まれる面白さがあったという。ケンちゃんは、場所ありきではなく、人と人とのつながりからイベントが生まれ、皆でワイワイ話し合って、協力して何かを始める、という理想的な流れでこれらの活動が行われたと言っている。

さらに、イベント後の打ち上げもユニークな形で展開した。「お座敷ジェリー」の後、西宮北口の焼鳥屋で打ち上げをするのが恒例となっていたが、これが「貴族会議」へと発展した。まあ、お店が「鳥貴族」だったからというのもあるが、このネーミングはセンスいい(と思う)。

チェーンである焼鳥屋から始まったことから「聖地巡礼」というコンセプトが生まれ、ドレスコードを「貴族を感じさせる装い」とし、仮面を着用するなど、趣向を凝らしたユニークなイベントとなっていく。

「打ち上げをイベント化するという、よく判らないことをやっていた」と自虐的に振り返っているが、いやいや、そういう発想に賛同者が集うというのもコワーキングの醍醐味だ。

一方、当時、カフーツではUstreamを使ったライブ配信をよく行っており、ケンちゃんとぼくが進行するトークセッションを行っていた。これがケンちゃんが本格的にライブ配信に関わった最初だ。

配信では、カフーツに集まるいろんな属性の人をゲストに招き、活動内容などを紹介していた。その配信を通じて、スマホアプリのアイデアを持っている人が、前述の東京の「PAX Coworking」で開発メンバーとつながり、見事、リリースするという事例も生まれている。

この生配信での経験が買われ、彼は「コワーキングフォーラム関西2011」のMC(司会)を務めることになった。これは日本のコワーキングイベントとして最初のものであり、神戸で開催された第1回大会は140人もの参加者を集め、大盛況だった。

このイベントのことはここに書いている。(ビデオも貼ってあります)

13年前の今日開催された『コワーキングフォーラム関西2011』を振り返って今思うこと:今日のアウトテイク#389(2024-12-11)|カフーツ伊藤

ここで彼は、MCとしてイベントの進行役を務めた。コワーキングのイベントでは個性豊かなメンツが一堂に会する。ときに脱線することもある(自分で言うのもナンですが)が、「猛獣使い」と呼ばれるほどの手さばきで、なんの打ち合わせもなしに見事にやってのけた。

ちなみに、このコワーキングフォーラムは、2012年の大阪、2013年の京都へとバトンタッツされ、そこでも彼はMCやファシリテーターとして参加している。

そして、10年後の2023年、京都で開催されたフォーラムには登壇者として招かれた。これらの経験を通じて、ケンちゃんは「自身が喋るのが得意であるという能力にコワーキングで気づかせてもらった」と言っている。そう、体験することで自分を知るに及んだわけだ。

・コロナ禍の試練と「間借りコワーキング」

2019年からはスマホのトレーナーの仕事が一段落し、ライターとしてフリーランスになるのだが、2020年のコロナ禍において、緊急事態宣言による移動制限や社内業務への変更が原因で体調を崩してしまう。

会社に行けなくなり、家に引きこもるような状態になり、適応障害と診断された。この時期はいわば暗黒期であったが、カフーツとJUSO Coworkingでのライティング仕事で頑張ってくれた。

体調の回復を経て、彼の生活は大きく変わった。離婚し実家に戻った後、2023年3月についに家なし生活をスタートし、まさに物理的にも「移働家」としての活動が本格化した。

2年2ヶ月に及ぶ家なし生活は、人間が本来持っている生き延びるための知恵を学ぶ機会となった。大きなリュックに私物や仕事道具、そしてキャンプ用品まで詰め込んで移働している。

そしてここで、カフーツが展開している「間借りコワーキング」と彼がクロスする。

「間借りコワーキング」はぼくではない他の人がカフーツという環境を利用して、その日、ご自分のコワーキングの主宰者となり、ご自分のコミュニティが集まる場所として運営する試み。

自分の流儀(営業時間、料金など)でコワーキングを運営することで、コワーキング運営者と利用者の壁を取り払い、多様なコミュニティをクロスさせること、言い換えると「自分コミュニティを見える化」するカツドウだ。

「間借りコワーキング」してもらって気付いたぼくのやりたかったことの正体:今日のアウトテイク#447(2025-02-07)|カフーツ伊藤

よくよく考えてみれば、「間借りコワーキング」は前述の「お座敷ジェリー」の系譜につながっていると言えなくもない。というか、根幹となる部分は同じだ。

ケンちゃんの間借りコワーキング「YAMASAKIBASE」は2023年2月に開始した。

カフーツで「間借りコワーキング」、はじめ〼|カフーツ伊藤

自身が主催することで、彼自身の知り合いだけでなく、普段カフーツには来ないような意外な人が来てくれる効果があった。

さらに、他のコワーキングを運営する人々とのつながりも生まれ、例えば広島尾道の後藤さんとの出会いは、その後のケンちゃんの中四国方面でのカツドウにつながっていき、そこでも多くのイベントに関わるようになる。

そう、自分で行動を起こすことで自分ネットワークが広がっていく。ボ〜っと待ってたって、そんなことは起こらない。

現在、ケンちゃんはJUSO Coworkingでも週に一度(木曜日)のコミュニティマネージャーを任され、Twitterでの発信やニュースペーパー作成なども行っている。

ちなみにJUSO Coworkingは子育て世代の利用者が多く、子供たちが集まってゲームや麻雀大会、音楽イベントなどを行っている。そういえば、JUSO Coworkingはこども食堂もかつてはやっていた。

こども食堂とコワーキングの融合が世代を超えて地域の交流を促進する:今日のノート#561(2025-06-01)|カフーツ伊藤

また、2024年にはじまった「Coworking Day 2024」にも関わるようになる。

これはバトンリレー形式で関西各地のコワーキングスペースを巡る企画だが、初っ端の神戸カフーツではケンちゃんの発案で、深夜にコワーキングしたあと、ハーバーランドで朝日を拝む「コワーキングの初日の出」イベントも開催した。

その模様をOFFICE CAMPUSの古家さんがビデオに収めてくれていた。

これらの活動を経て、ケンちゃんは枚方のコワーキング「ビィーゴ」に金曜日担当のコミュニティマネージャーとして入団した。

つまり、現在、ケンちゃんは、毎週木曜日は「JUSO Coworking」、金曜日は「ビィーゴ」、そして毎月第3水曜日はカフーツで「間借りコワーキング」、というシフトになっている。

こういうカタチでコワーキングの運営に携わるケースは稀だろうけれども、もしかしたら今後、増えるかもしれない、という予感、というか期待はある。

そして、こういうカタチで「移働」する人が各地に増えてきて、いずれその人たちが一堂に会する「移働家サミット」ができたらきっと楽しいだろうと思うし、そこでまた相互に知見や情報を共有する機会ができたらいいなと思う。

ちなみにケンちゃんも、「プロはプロなりの意見、素人は素人なりの意見、それを対等な立場で言い合える場所がコワーキング」というメモを紹介してくれた。そのメモの日付は、2011年7月20日だ。

・カツドウ領域を広げた「コワーキングキャンプ飯部」

「間借りコワーキング」と並行して、ケンちゃんのコワーキングでのカツドウは「食」の領域へと大きく広がっていく。それが「コワーキングキャンプ飯部」だ。

カフーツでキャンプ道具を使ってご飯を炊いたりパスタを茹でたりすることから始まり、参加者が増えるにつれて七輪が導入されたり、パクチー入のアヒージョやししゃもの塩焼きなど、メニューもどんどん増えていった。

コワーキングキャンプ飯部で自由な語らいの時間をあなたも:今日のアウトテイク#215(2024-06-20)|カフーツ伊藤

これが今やカフーツだけでなく、JUSO Coworkingやビィーゴに横展開され、多くの人に楽しまれている。

食のイベントの良さは、食を通じて参加者同士が自然と打ち解け、仲良くなりやすいということ。だから、コワーキングにおける人と人とのつながりを深める「最強の武器」であるとぼくは考えている。「コワーキング曼荼羅」でもコワーキングの重要テーマとして「食」を挙げている。

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「ビィーゴ」では、キャンプ飯部から発展して、実際に公園で焚き火をしたり、キャンプ場オーナーとの連携でデイキャンプを企画したりといった活動にもつながっている。

さらに、毎月最終金曜日の夜にバーカウンター形式で料理を振る舞う「ナイトキッチンやまさき」も開始した。スタッフや利用者が混じって交流する場となっており、食材や酒を持ち寄る人もいる。

このように、彼はコワーキングを単に利用するだけでなく、自らさまざまなイベントを企画・運営し、トークや「食」といったスキルを活かしながら、複数のコワーキングを横断的に関わるという独自のスタイルを確立している。

これは、まさに「移働家」としてのカツドウというに相応しい。

・今後の展望と課題:生計の確立と無形資産の評価

さて、今後やりたいこととしてケンちゃんは「農業」への興味を挙げた。食への探求から発展し、自給自足的な生活や、人間が本来持っている生き延びる力を活用することに関心があるという。

家なし生活の経験から、自分で火を起こし、野菜を育て、料理をするというプリミティブな活動に価値を見出していて、将来的には「移働」もできるようなベースキャンプとして、地方に拠点を持ちたいという構想がある。

先日の「トーキング・コワーキング」にも出演いただいた大倉さんが運営しているAMIGO HOUSEはその好事例かもしれない。ゲストハウス、コワーキング、シェアハウスが一体となり、農業やコンポスト、石鹸作りなど多様な活動を行っている点は参考になる。

「泊まる」「働く」「住む」「耕す」「食べる」「遊ぶ」「学ぶ」「買う」を兼ね備える「AMIGO HOUSE」は豊かなローカルライフを実践するための複合的な環境を実現する〜トーキング・コワーキングVOL.2|カフーツ伊藤

一方で、今後もカツドウを進める上での課題もある。最大の課題は、イベント企画やコミュニティマネージャーといった活動だけで生計を立てられるようになることだ。

現状では、これらの活動から安定した収入を得ることは実際のところ難しい。キャリアパスとしても、まだ明確に確立されているとは言えない。

特に、ケンちゃんのようにアイデアの創出や無形的な成果(コミュニティの活性化、人のつながりを作るなど)を数値で評価することは、現時点では難しいと感じている。

コワーキングマネージャーには、人つなぎ、コワーカーのサポート、イベント企画、広報・宣伝といった多様なスキル、センス、ホスピタリティが求められるが、これらは定量的に評価しにくく、従って正当な対価を設定することが困難だ。

またコワーキング経営者側においても、コワーキングマネージャーのような役割の無形的な価値を十分に理解していない場合や、評価尺度を持っていない場合がある。

単に受付業務のような定型的な仕事ではなく、人間関係の構築や雰囲気づくりといった、コワーキング本来の価値を生む部分に対する理解が進んでいないとぼくは感じている。

ぼくが「コワーキングスペース開業講座」ではなく「コワーキングマネージャー養成講座」をやる理由。|カフーツ伊藤

これは、コワーキングマネージャーが非常に多くの能力を要求されるスーパーマンのような存在であるにも関わらず、その価値が十分に認められていない現状があること示唆している。

ヨーロッパではパンデミック以降、コミュニティマネージャーのスカウト合戦が起こるほど需要があるのだが、日本ではそもそもまだこうした人材自体が不足しているとぼくは考えている。だから、そのための講座もやっているわけなのだが。

また、アイデアを生み出し、ユニークな活動を続けるためには、ある程度の時間的・精神的な「余白」が必要だと彼は言う。しかし、生計を立てるのに精一杯では、その余白を持つことが難しくなる。

アイデアの成果が出るまでには時間がかかるため、短期的な売上などで評価することが難しく、アイデアやそこに至る労力に対する適正な報酬が得られにくいことも課題だ。

・コワーキングとは「自分を再確認する場所」

さて、いつもの最後の質問、ケンちゃんにとってコワーキングとは一言でいうと何か、という問いに対し、彼は「自分を再確認する場所」だと答えた。コワーキングを通じて自身の能力や価値観に改めて気づかされる、という意味だ。

自身では当たり前すぎて気づきにくい「喋るのがうまい」といった長所を、他のコワーキングスペースでさまざまな人に指摘されることで、自身の強みや伸ばしていくべきところを認識できたという。

また、コワーキングでの人との会話や交流を通じて、自分で話しているうちに「自分ってこんなこと言えるんだ」といった、自分の中に元々あった潜在的な考えや可能性に気づくことがあるという。

これは、一人では決して得られない気づきであり、誰かがそこにいて、些細なやり取りを重ねる中で生まれるものだ。AIとの一対一のやり取りではなく、多様な場所で多様な人々と交流し、彼らの反応や意見を聞くことで、自身の立ち位置が定まってくる。

つまり、ケンちゃんにとってコワーキングは、単なる仕事場や交流の場を超え、自己理解を深め、自身のアイデンティティを再認識するための重要な場所となっている。この洞察は自分で実際に行動したからこそ得られたものだ。

ということで、長い付き合いだがはじめて聞く話もあって、ついつい長くなってしまった。もしお時間あれば、ぜひビデオをご覧いただきたい。

さて、そのケンちゃんが、来る6月23日(月)にカフーツでイベントをする。

題して「その後の移働家生活報告会〜やまさきけんのどうやって生きてきたん2025〜」。今回のライブ配信では話せなかった、「家なし生活」の実態についてさらに深堀りする。

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ぜひ、ご参加ください。参加表明はこちらから